スハフ 43。 車両工場 スハ43系(中村等)修理

スハフ43

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切妻車体に鋼体化客車で確立されたデッキを挟んで車端部寄りにある乗務員室、 妻板右側の後方監視窓といったスタイルは、多くの人が思い起こす旧型客車列車の最後尾のイメージそのものだ。 また、緩急車改造による他の形式からの編入もごく僅かで、 オリジナルの形式イメージを一貫して保ったこともその要因と言えよう。 戦後製である本形式は、旧型客車が優等列車から退く1982年11月のダイヤ改正まで、 全国主要幹線の夜行急行列車の座席車として運用され続けた。 上野駅に夜が訪れると、地平ホームには越前・能登・鳥海・妙高といった列車が、 次々に入線しては発車して行った情景が思い出される。 一方、新幹線の延伸によって都落ちした者たちも、 各地の幹線ローカル列車の主役として旧型客車の晩年まで活躍し続けた。 スハフ42 101 福フチ 浜田発 福知山行き 544レ 1985年 2月 9日 米子駅 近代化改装されてドアはHゴム支持に交換されているが、窓枠は木製、トイレ窓は1段上昇式であり、 オリジナルのイメージを保っている。 写真は浜田から上ってきた福知山行き544レで、ここ米子で機関車の交換が行われる。 スハフ42 140 福フチ 浜田発 福知山行き 544レ 1984年 3月15日 米子駅 原型の洗面所窓を残しつつも、アルミサッシ化・FRP製水槽への換装がなされて軽快な外観。 近代化改装により室内も明るいイメージとなって、優等列車を思わせるスタイルである。 この車両は京都寄りの先頭車なのだが、ここ米子で機関車の取替えを行っている最中のスナップである。 スハフ42 2153 福フチ 浜田発 福知山行き 544レ 1984年 3月16日 米子駅 洗面所窓は上段内折で上側が透明ガラス、また手前の3位側客用ドアはHゴム支持の標準タイプである。 前出の140号と同一列車を翌日に撮影したものだが、 本スナップでは米子以東を担当する機関車が既に到着している。 但し、連結作業中であり暖房蒸気が客車へは供給されておらず、DD51の屋根上に排気されている。 便所窓は洗面所と同じく上段内折タイプながら、上段・下段ともに白色ガラスになっている。 スハフ42 227 福フチ 浜田発 福知山行き 544レ 1985年 2月 9日 米子駅 銀色のアルミサッシとHゴム支持のトイレ窓、Hゴム支持標準タイプの近代的なスタイルで、 幹線の夜行急行列車を髣髴させる仕様だが、水槽はオリジナルのままである。 本車では車掌室側の票差しは車端部寄りに付いている。 スハフ42 2238 福フチ (留置車両) 1984年 3月17日 豊岡駅 近代化改装車ながら、扉の曇りガラスに「車掌室」とペイントされた貫通路は、 プレスドアでオリジナルのイメージを良く保っている。 妻面や端梁周辺の空気・蒸気・電気配管のディティールが良くわかる。 2000番台の電気暖房搭載車であるが、 山陰筋では無用なためか、渡り線のケーブルが撤去されていた。

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スハフ42 1〜335は一般形として新製されたグループで、1951〜1955(昭和26〜30)年に汽車製造、川崎車輌、新潟鉄工所、日本車輌、近畿車輌、帝国車輌で335両製造された。 窓配置等の車体配置はと同じであるが、車端部は同時期に改造されたオハ61系と同様に完全切妻形で、車掌室は出入台より外側に設けられている。 台車はTR40の基礎ブレーキ装置を電車と同じタイプとしたTR47を使用している。 1両が更新修繕でに改造され、1973〜1977(昭和48〜52)年に 北海道向けとして20両が スハフ42形500番代に改造され、さらに1978〜1982(昭和53〜57)年に15両がに改造された。 スハフ42 2401〜2404はに緩急設備を取り付けスハフ42形に編入したグループで、1965〜1966(昭和40〜41)年に大宮工で4両改造された。 前位側の座席1ボックス分を撤去して車掌室が設けられたため、出入台はスハフ42形0番代と異なり車体両端にある。 1977(昭和52)年に 1両が北海道向けとして スハフ42 519に改造された。 スハフ42 501〜523は北海道向けに改造されたグループで、1973〜1973(昭和48〜53)年に旭川、五稜郭車両センターで23両改造された。 改造では北海道向けに客窓の二重窓化等の耐寒改造が施工されており、台車はベルト式発電機から歯車駆動方式の車軸発電機に変更されている。 スハフ42形0番代を改造した スハフ42 501〜518,520、スハフ42形400番代(旧スハ43形)を改造した スハフ42 519、スハ43形700番代を改造した スハフ42 521,522、を改造した スハフ42 523の4タイプが存在する。 スハフ42 523は種車の関係でスハ43系唯一の半切妻形(折妻形)となっており、台車は種車のTR40をそのまま使用している。 その後、から14両が改造編入された。 スハフ43 1〜3はとともに特急用として新製されたグループで、1951(昭和26)年に汽車製造で3両製造された。 窓配置等の車体配置はスハ44形と同じであるが、車掌室が出入台より外側に設けられており、妻面の車掌室窓が貫通路の両側にある。 室内は一方向固定式のクロスシートとなっており、出入台はやスロ60形などの優等車のように1カ所のみ設けられている。 台車はと同様にTR40の基礎ブレーキ装置を電車と同じタイプとしたTR47を使用している。 スハフ43 11〜24はに緩急設備を取り付けスハフ43形に編入したグループで、1960〜1961(昭和35〜36)年に多度津、小倉工で14両改造された。 前位側の座席2列分を撤去して車掌室が設けられたため、出入台はスハフ43形0番代と異なり車体端部にある。 その後、から5両が改造編入された。 スハフ44 1〜27は北海道向けとして新製されたグループで、1952〜1954(昭和27〜29)年に日本車輌、川崎車輌、汽車製造で27両製造された。 窓配置等の車体配置はと同じであるが、客窓の二重窓、温気暖房装置等の北海道向け設備を装備しており、台車は歯車駆動方式の車軸発電機付きのTR47を使用している。 1988(昭和63)年に1両が「C62ニセコ」用のに改造された。 スハフ44 101〜105はに緩急設備を取り付けスハフ44形に編入したグループで、1972(昭和47)年に五稜郭工で5両改造された。 前位側の座席1ボックス分を撤去して車掌室が設けられたため、出入台はスハフ44形0番代と異なり車体両端にある。 オハフ46 1,2,2003〜2009,10〜12,2013,14,15,2016,17〜20,2021〜2030は(旧スハ43形)を種車として改造されたグループで、1965〜1974(昭和40〜49)年に大宮、長野、後藤、小倉工で30両改造された。 スハ43形時代にTR47台車を交換しているためTR23台車を使用しているが、一部の車両は台車の心皿、側受を改造したTR23F、または さらに円筒コロ軸受に改造したTR23Hを使用している。 1973〜1977(昭和48〜52)年に北海道向けとして5両が オハフ46形500番代に改造された。 オハフ46 501〜507はオハフ46形0番代、を種車として北海道向けに改造されたグループで、1973〜1978(昭和48〜53)年に旭川、五稜郭車両センターで8両改造された。 改造では北海道向けに客窓の二重窓化等の耐寒改造が施工されており、台車はベルト式発電機から歯車駆動方式の車軸発電機に変更されている。 車内は中央部に洗面所と便所が設けられ両側に3等室と荷物室(積載荷重は5t)、車掌室が配置されており、3等室はスハ44形と同様に一方向固定式のクロスシートとなっている。 台車はTR47を使用している。 1962(昭和37)年に改造の際に改造種車のTR23台車とTR47を振り替えた2両が オハニ40形に改造されたが(台車交換の他にシートを背ずりが木製で垂直のものに交換)、1965(昭和40)年には2両ともに改造されたため形式消滅した。 スハニ35形で残った10両も 1965〜1966(昭和40〜41)年に4両がに改造され、1969〜1970(昭和44〜45)年に1両が教習車オヤ33形50番代に、さらに5両がに改造されたため形式消滅した。 特急「つばめ」「はと」用の車両は灰緑色に塗色変更された. All rights reserved.

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スハフ42 一般型客車資料室

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スハフ42 1〜335は一般形として新製されたグループで、1951〜1955(昭和26〜30)年に汽車製造、川崎車輌、新潟鉄工所、日本車輌、近畿車輌、帝国車輌で335両製造された。 窓配置等の車体配置はと同じであるが、車端部は同時期に改造されたオハ61系と同様に完全切妻形で、車掌室は出入台より外側に設けられている。 台車はTR40の基礎ブレーキ装置を電車と同じタイプとしたTR47を使用している。 1両が更新修繕でに改造され、1973〜1977(昭和48〜52)年に 北海道向けとして20両が スハフ42形500番代に改造され、さらに1978〜1982(昭和53〜57)年に15両がに改造された。 スハフ42 2401〜2404はに緩急設備を取り付けスハフ42形に編入したグループで、1965〜1966(昭和40〜41)年に大宮工で4両改造された。 前位側の座席1ボックス分を撤去して車掌室が設けられたため、出入台はスハフ42形0番代と異なり車体両端にある。 1977(昭和52)年に 1両が北海道向けとして スハフ42 519に改造された。 スハフ42 501〜523は北海道向けに改造されたグループで、1973〜1973(昭和48〜53)年に旭川、五稜郭車両センターで23両改造された。 改造では北海道向けに客窓の二重窓化等の耐寒改造が施工されており、台車はベルト式発電機から歯車駆動方式の車軸発電機に変更されている。 スハフ42形0番代を改造した スハフ42 501〜518,520、スハフ42形400番代(旧スハ43形)を改造した スハフ42 519、スハ43形700番代を改造した スハフ42 521,522、を改造した スハフ42 523の4タイプが存在する。 スハフ42 523は種車の関係でスハ43系唯一の半切妻形(折妻形)となっており、台車は種車のTR40をそのまま使用している。 その後、から14両が改造編入された。 スハフ43 1〜3はとともに特急用として新製されたグループで、1951(昭和26)年に汽車製造で3両製造された。 窓配置等の車体配置はスハ44形と同じであるが、車掌室が出入台より外側に設けられており、妻面の車掌室窓が貫通路の両側にある。 室内は一方向固定式のクロスシートとなっており、出入台はやスロ60形などの優等車のように1カ所のみ設けられている。 台車はと同様にTR40の基礎ブレーキ装置を電車と同じタイプとしたTR47を使用している。 スハフ43 11〜24はに緩急設備を取り付けスハフ43形に編入したグループで、1960〜1961(昭和35〜36)年に多度津、小倉工で14両改造された。 前位側の座席2列分を撤去して車掌室が設けられたため、出入台はスハフ43形0番代と異なり車体端部にある。 その後、から5両が改造編入された。 スハフ44 1〜27は北海道向けとして新製されたグループで、1952〜1954(昭和27〜29)年に日本車輌、川崎車輌、汽車製造で27両製造された。 窓配置等の車体配置はと同じであるが、客窓の二重窓、温気暖房装置等の北海道向け設備を装備しており、台車は歯車駆動方式の車軸発電機付きのTR47を使用している。 1988(昭和63)年に1両が「C62ニセコ」用のに改造された。 スハフ44 101〜105はに緩急設備を取り付けスハフ44形に編入したグループで、1972(昭和47)年に五稜郭工で5両改造された。 前位側の座席1ボックス分を撤去して車掌室が設けられたため、出入台はスハフ44形0番代と異なり車体両端にある。 オハフ46 1,2,2003〜2009,10〜12,2013,14,15,2016,17〜20,2021〜2030は(旧スハ43形)を種車として改造されたグループで、1965〜1974(昭和40〜49)年に大宮、長野、後藤、小倉工で30両改造された。 スハ43形時代にTR47台車を交換しているためTR23台車を使用しているが、一部の車両は台車の心皿、側受を改造したTR23F、または さらに円筒コロ軸受に改造したTR23Hを使用している。 1973〜1977(昭和48〜52)年に北海道向けとして5両が オハフ46形500番代に改造された。 オハフ46 501〜507はオハフ46形0番代、を種車として北海道向けに改造されたグループで、1973〜1978(昭和48〜53)年に旭川、五稜郭車両センターで8両改造された。 改造では北海道向けに客窓の二重窓化等の耐寒改造が施工されており、台車はベルト式発電機から歯車駆動方式の車軸発電機に変更されている。 車内は中央部に洗面所と便所が設けられ両側に3等室と荷物室(積載荷重は5t)、車掌室が配置されており、3等室はスハ44形と同様に一方向固定式のクロスシートとなっている。 台車はTR47を使用している。 1962(昭和37)年に改造の際に改造種車のTR23台車とTR47を振り替えた2両が オハニ40形に改造されたが(台車交換の他にシートを背ずりが木製で垂直のものに交換)、1965(昭和40)年には2両ともに改造されたため形式消滅した。 スハニ35形で残った10両も 1965〜1966(昭和40〜41)年に4両がに改造され、1969〜1970(昭和44〜45)年に1両が教習車オヤ33形50番代に、さらに5両がに改造されたため形式消滅した。 特急「つばめ」「はと」用の車両は灰緑色に塗色変更された. All rights reserved.

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