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あぁ・・・かわいい。パンダ写真55連発(癒し)【和歌山・アドベンチャーワールド】|じゃらんニュース

パンダ 写真

分布 [ ] (、、)。 、では絶滅。 化石記録から、古くは北京周辺から北部、北部にかけて分布していたと考えられている。 形態 [ ] 頭胴長()120 - 150センチメートル。 尾長10 - 15センチメートル。 体重オス100キログラム、メスは90キログラム(飼育個体ではオス120キログラム、メス100キログラム)。 全身は分厚い体毛で覆われる。 耳介や眼の周囲・肩から前肢・後肢は黒く、他は白い。 種小名 melanoleucaは「黒白の」の意。 色彩は古くは捕食者から輪郭をごまかすのに役立ったり積雪地域での保護色だったとする説もあるが、現在では人間以外の捕食者はほとんどおらず雪もあまりない環境で生活している。 歯列はが上下6本ずつ、が上下2本ずつ、は上下8本ずつ、は上顎4本、下顎6本の計42本。 臼歯は大型でタケ類を噛み砕くのに適していて 、顔も幅広い。 食道には輪状の角質が並ぶ。 胃の隔壁は厚い。 小腸はクマ科内でも短く(表面積が小さい)、やの表面積は大きい。 肛門や性器の周辺に、分泌腺がある。 出産直後の幼獣は体長15センチメートル。 体重85 - 140グラム。 体色はピンク色。 生後1か月で、毛衣が成獣と同じようになる。 乳頭の数は4個。 ジャイアントパンダ()の骨格標本(所蔵) 体長・体重 は約120-150で、立ち上がると170cm程度になる。 オスの体重は約100-150、メスは約80- 120kgである。 生まれた子供の体重は通常100- 200程度と大人の約1000分の1しかない。 体毛 眼の周り、耳、、背中の両肩の間の毛が黒く、他の部分は白色(クリーム色)である。 この模様や色使いは「単独行動が維持できるように近すぎる距離での遭遇を回避するのに役立っている 」「周りの景色に溶け込んで外敵の目から逃れるためのカモフラージュの役割を果たしていた 」等と考えられている。 頭 2~3頭身の乳幼児体型で大きい。 また目・鼻・口は顔の下半分に集中している。 堅い竹を噛み潰す必要上、筋肉が頭蓋骨の上方に位置するため額も広い。 尾 尾の長さは約13- 20cmであるが、尾はほとんど成長しないため、成獣では目立たない。 ジャイアントパンダの・・グッズなどのなかには、尾を黒く塗った商品を見かけるが、汚れなどによる誤解や思い込みに基づいて色付けされており、本種の尾の色は正しくは白色(クリーム色)である。 幼少期 生まれた直後は毛が一切生えておらず、薄いピンク色をしている。 生後約1週間から十日程で毛根の色が透けるため白黒模様が見え始める。 生後1か月ほど経つと親と同じような模様の毛が生え揃う。 ジャイアントパンダの毛は軟らかそうなイメージがあるが、軟らかいのは生後約1年くらいまでであり、成獣の毛は豚毛ブラシに近く、比較的硬い。 毛皮は、硬くて脂ぎっている。 手 通常、クマは前肢の構造上、物を掴むという動作ができない。 しかし、唯一ジャイアントパンダは竹を掴むことができるように前肢周辺の骨が特殊に進化している。 第一()側にあると第五中手骨()側にあるが巨大化して指状の突起となっており、その突起を利用して物を押さえ込む。 撓側種子骨は人間の親指のように見えることから「偽の親指」や「第六の指」と呼ばれている。 ジャイアントパンダは撓側種子骨があることで物を掴めると長い間考えられてきたが、実際に竹のような太さの棒状の物体を掴むには撓側種子骨に加え、「第七の指」副手根骨が必要であることが、ら 1999 によって示された。 パンダがこれら2つの骨を使って物を掴む仕組みは、論文の中で「ダブル・ピンサー」、すなわち「パンダの掌の二重ペンチ構造」 と紹介されている。 眼 眼の周りの模様が垂れ目のような形をしているが、実際の眼は小さく上がり気味で鋭い目付きである。 はあまりよくないと考えられていたが、研究によって、と様々な色合いを区別できることが確認された。 内臓 やの構造はクマや等、他のと大変似ている。 は大きく、奥歯も大きく平らなで人間のおよそ7倍の大きさである。 やはとしては短い構造がデメリットとなり、を多く含む竹などの食物を食べた場合、栄養摂取の効率が低く、それを量で補うため、ジャイアントパンダは一日の大半を竹を食べることに費やしている。 また、陝西省仏坪県の自然保護業務関係者は、三官廟一帯で秦嶺の野生のパンダが牛の足の骨をかじった跡を確認している。 ジャイアントパンダはこれまでの個体が確認されておらず、その姿や存在を実証する術もなかったことから「存在し得ないもの」と見られていたが、2019年4月中旬に四川省・臥竜国立自然保護区にて真っ白な毛色のジャイアントパンダが歩行している様子を山中に設置されたカメラが捉えており、目が赤く足の部分の毛も白いことから、同地管理局では紛れもないアルビノの個体であるとされている。 さらに同管理局によれば、専門家は「外部の特徴からこのパンダは遺伝子上の異常が原因で白化した」と分析しているという。 分類 [ ] 、に長けたのが、現在の中華人民共和国四川省西部にて地元の猟師が持っていた白黒模様のパンダの毛皮をとして初めて発見した。 後日、のにとなどを送った。 これがきっかけとなってジャイアントパンダの存在が知られるようになり、目当てにブームになった。 20世紀になると絶滅の危機を迎えていた。 のが生体をに連れて帰ろうとしたが、病で死んだ。 その後、妻のルース・ハークネスが、11月にジャイアントパンダの幼獣を見つけて自国に連れ帰った。 そのがに保管されている。 クマ科に似ているが、アライグマ科に近い特徴も持つ。 そのためクマ科に属するか、アライグマ科に属するか、独立したパンダ科(もしくは、ジャイアントパンダ科)に属するかの論争が長年繰り広げられていたが、、、的研究の結果、近年ではクマ科に分類される。 一方、は独立したに分類された。 パンダの系統についてはの項目を参照 2005年に頭蓋骨が小型で臼歯が大型であること、上胸部が暗褐色(通常は黒い)・腹部も褐色の個体が多いか白い個体でも褐色の体毛が混じる(通常は白い)こと、DNA指紋法による分子解析からの個体群を亜種 A. qinlingensisとする説が提唱された。 一方でこの亜種を認める説は、有力ではない。 生態 [ ] 標高1,200 - 4,100メートル(主に1,500 - 3,000メートル)にある、竹林に生息する。 9 - 6. 2の、行動圏内で生活する。 1日あたり500メートル以上を移動することはまれ。 昼夜を問わずに活動するが、薄明薄暮性傾向が強い。 冬季になると、積雪の少ない標高800メートルくらいの地域へ移動する。 冬眠はしない。 イチハス・クロッカス・リンドウなど他の植物質、ネズミ類・などの小型哺乳類、魚類などを食べた例もある。 1日あたり10 - 18キログラム、水分の多いものだと38キログラムの食物を食べる。 3 - 5月に交尾を行う。 洞窟や樹洞で出産する。 1回に1 - 2頭の幼獣を産む。 飼育下では3頭を産んだ例もある。 出産間隔は隔年だが 、幼獣が早期に死亡すると、翌年に出産することもある。 生後40 - 60日で開眼する。 授乳期間は8 - 9か月。 生後5 - 6か月で、タケなどを食べるようになる。 生後4 - 5年で、性成熟すると考えられている。 飼育下での最長寿命は34年だが 、通常は長くて26年。 を食べる様子 食事 現在はに棲み、食のほか、小型・・等の小動物、を食べることもあり 、他のクマ類と同様にを含む性の特徴も微少であるが残っている。 の到来によるがもたらす食糧不足からを余儀なくされ、常に入手しやすい竹ばかり食べるようになったと考えられている。 しかしながら現在は、中国の飼育環境では、竹以外にも肉や野菜などを中心とした餌が与えられ、竹食中心とは言いがたいのが現状である。 野生下でも、稀に人里に降りて家畜を食い殺す事件が発生するなど 、機会があれば生肉を拒まない。 行動 群れや家族を形成せず、基本的に単独で行動している。 他のクマ科動物と異なり、はしない。 繁殖 繁殖期は年に一度、3月から5月の間であり、()が行われることもある。 メスの受胎が可能な期間は数日ほど。 妊娠期間は3か月から6か月で、通常1頭または2頭の子供を出産する。 繁殖力は低い部類に入り、乱獲と並んでパンダの絶滅危機の原因でもある。 近年の研究によって、発情期以外でも声と匂い付けによって他のパンダと頻繁にコミュニケーションをとり、しばしば交流することが判明している。 クマ科の気性 外見や動作の特徴は人間にとって「愛らしさ」と映り、そのような面が注目を集めるが、クマ科動物として気性の荒い一面も併せ持っている。 動物園の飼育員や見学客などが襲われる事件が、過去には何件か発生している。 人間との関係 [ ] 注疏では本種と推定される「竹を食べる白黒模様をしたクマのような動物」がとして記述されており、銅鉄も食べる動物と考えられていた。 これは竹が矢の原料であることから矢を食べる動物と伝わり、時代が進んで金属製の矢が出現したことで金属も食べる、と変化していったと考える説もある。 が記した「獏賛序」では貘は金属を食べるという記述のみが誇張され、以前にはそれ以外の特徴がなくなったと推定されている。 加えて唐時代に、本種と同じ白黒模様をしたが混同したと推定されている。 から、時代でも貘は金属を食べる生物とされている。 では本種の呼称は猫熊で、の影響が大きい地域あるいは中国共産党解放後に左書きに誤読され熊猫になったとする説もある。 台湾での本種の呼称が猫熊であることも上記が理由とする説もあるが、一方で中国共産党の影響が大きくない初版のにおいても既に熊猫は記述されている。 一方でこの辞海初版での熊猫の解説は「新疆産の怪獣。 体は大型で、現存する怪獣の中でも最も珍しいもののひとつ。 」などと記述されており本種とは結びついていない、この時点では本種を猫熊と呼称することは定着していなかったと考えられている。 例としてDavidの発見時における本種の現地での呼称は、「白熊」だったとされている。 のシンボルマークのモチーフになっている。 独特の色彩に関しては人間の少女と仲良くなったがその少女が亡くなり、葬儀で号泣して目をこすり自分自身を抱きかかえたためだとする古代中国の伝承がある。 毛皮は寝具とすると夢により未来を予知できると信じられたこともある。 (四川省・成都市) 竹林伐採や農地開発による生息地の破壊、毛皮目的の密猟、ジャコウジカ猟用などの罠による混獲などにより生息数が減少した。 1985 - 1991年に、278人が123件の密輸容疑で有罪判決を受けている。 2016年の時点では生息数が増加傾向にあるが、将来的には気候変動などによる竹の減少に伴い生息数が減少すると推定されている。 1963年に保護区が設置され、1995年の時点で13か所・5,827平方キロメートルが保護区に指定されている。 このうち最大のものは臥龍自然保護区で、約2,000平方キロメートルに達する。 1989年からは保護区の増設、伐採や狩猟の規制、分断した生息地を繋ぐ回廊を設置する試みなどが進められている。 1990年代にクローンを作成する試みが発表されたが、成功したとしても効果は疑問視されている。 1983年に中華人民共和国の個体群がワシントン条約附属書IIIに、1984年にワシントン条約附属書Iに掲載されている。 調査方法や地域がそれぞれ異なるため単純な比較はできないものの1974 - 1977年における生息数は2,459頭、1985 - 1988年における生息数は1,216頭、2000 - 2005年における生息数は1,596頭、2011 - 2014年における生後1年半以上の個体の生息数は1,864頭と推定されている。 にも指定されている。 臥龍自然保護区内にはに臥龍パンダ保護研究センターが建設され、ジャイアントパンダの飼育・研究が行われ、また、大いに観光客を呼び込んでいたが、のによって壊滅し、飼育されていたジャイアントパンダはちりぢりに各地の動物園に移された。 廃墟となったセンターは放棄されたが、近隣の耿達郷の神樹坪に急遽センターが再建され、2012年10月30日に仮オープンしパンダ18頭の帰還式が行われた。 中華人民共和国では、ジャイアントパンダのは重罪とされている。 過去にはが最高刑であったが、以降法律が改正され、現在は20年のが最高刑となっている。 死刑が最高刑であった時代に、実際に処刑(主に)が行われたこともある。 密猟はジャイアントパンダを食料にしたり、高値で取引される毛皮を手に入れるために行われることが多く、主な原因としては、中国における自然保護の管理システムの問題と、ジャイアントパンダの生息地における住民の経済的基盤の問題が挙げられている。 また中国では、特に手足が高級食材として取引されていることから、熊肉に混じってパンダの肉も売買されることがある。 経済発展が続く中華人民共和国では、生息地域だった土地の開発が進むにつれて、ジャイアントパンダが孤立する傾向にあり、繁殖期になっても交尾の相手が見つからないといった事態が起きている。 また、本種の主食であるは約60年から120年に1度、一斉に開花して枯れてしまうため、一種類しか竹が生えていない地域の場合、この時期に食料にありつけずしてしまうことがある。 以前であれば竹枯死の発生していない他の地域に、ジャイアントパンダ自身が移動することによってその事態を回避することもできたが、20世紀後半以降は道路建設や森林伐採、住宅や農地の開発などによって人間が生息地を分断したことによって移動できなくなった地域もあり、竹枯死の影響が大きくなるとみられる。 そのような問題点を改善するために、生息地域付近の開発制限、保護区の拡大、他地域のジャイアントパンダ同士が相互に交流できるように「(ワイルドライフコリドー、グリーンコリドー、)」を造る計画を進めている。 に発表された調査では、現在、中華人民共和国四川省北部の、陝西省南部の、南部などに約1,600頭が生息している。 、生育センターなどで飼育中のジャイアントパンダは計217頭、野生では約1,590頭が生育している。 この数は末より約40パーセント増えている。 にが初めて、人工授精での繁殖に成功した。 1990年の時点ではにメキシコのチャプルテペック動物園が(8日後に死亡)、にスペインのカサデカンポ動物園が人工授精での繁殖に成功している。 にアメリカ合衆国のワシントン動物園でも飼育下繁殖例があるが、生後3時間で死亡している。 ではにで初めて飼育された()が、ランランは1979年に妊娠中毒と腎不全の合併症、カンカンは1980年に心不全により死亡している。 1980年に来日したホァンホァンと1982年に来日したフェイフェイのペアが1985年に人工授精での繁殖に成功したが、幼獣は生後43時間で死亡している。 ホァンホァンとフェイフェイのペアはに人工授精での繁殖に成功し(トントン)、続けてにも人工授精での繁殖に成功した(ユウユウ)。 名称 [ ] この節はなが全く示されていないか、不十分です。 して記事の信頼性向上にご協力ください。 ( 2020年2月) Ailuropoda は、: ailouros 「」 + pous; 語幹: pod- 「足」 の。 melanoleuca は同じくギリシア語 melas; 語幹: melan- 「黒い」と leukos 「白い」とをつなげて、「黒白の」といった意味あいである。 世界の通用名(大小のパンダ) [ ] 今では世界中の諸言語で単に「panda、」と呼ぶ場合、ではなくこのジャイアントパンダを指すことが多いが、学術的にされたのはのレッサーパンダが先であり 、オリジナルの「パンダ」に比して大きな新種(当時はそのように考えられた)がになって発見されたことを受け、「lesser (レッサー、意:より小さい、小型の)」という特徴が名前に付け加えられた経緯がある。 そのため、より古い文献では単に「panda」「common panda」と呼んでいる場合、現代のレッサーパンダを指すことがある。 例えば、は2013年時点でもジャイアントパンダを「 giant panda」「 panda bear」と呼称し 、レッサーパンダを「 panda」と呼称していた (2015年版では修正済み)。 「panda」という呼び名の由来については、英語の「panda」がで同じ綴りの「panda」に由来することがわかっているが、フランス語の呼称の語源は定説がなく 、で「竹を食べるもの」を意味する 「ponga (ポンガ)」「ponya (ポンヤ)」「poonya (ポーンヤ)」( レッサーパンダの現地・ネパール語名:nigalya ponya、nyala ponga、poonya)などに求める説、特徴的ななどのに求める説などがある。 西洋の世界はもともと赤いパンダにこの名前を付けた。 赤いパンダに関連していると間違って言われた1901年まで、ジャイアントパンダは「白黒の猫の足の動物」(Ailuropus melanoleucus)と呼ばれていた。 ただし、これらの語はどのようなネパール語辞書からも見付けることができないものであり 、論拠に疑問がある。 中国語名 [ ] 古代中国では「 食鐵獸」、「 嚙鐵」、「」(現代でいうとは別)など多くの呼称があり、民間の別称でも「 花熊」と「 竹熊」がある。 で言う「熊猫」(: 熊貓、: 熊猫)も、レッサーパンダに由来する。 にあまり似ていないジャイアントパンダであるが、それを指す中国語に「猫」という字が入るのも、元はこの名がレッサーパンダを指していた名残である。 中国の山奥では、竹を食べる等、生態が似ているため、レッサーパンダが大きくなるとジャイアントパンダになると信じられていた地域もある。 今でも、熊ではなく猫の仲間だと誤解している中国人が少なくない。 台湾では元は「熊猫」が一般的であり、1988年の ()が大衆の注目を浴びた結果、「熊猫」か「猫熊」かの論争が巻き起こり 、1990年にが用語を「熊猫」に統一する結果となったが、は「素人が専門家を指導している」と批判して引き続き「猫熊」を使用した。 日本語名 [ ] では「 ジャイアントパンダ」のほか、ジャイアント部分を日本語にした「オオパンダ」という和名が存在し、一時はこれが主流になっていた。 これ以外に「イロワケグマ」や「シロクログマ」という和名もジャイアントパンダと並んで使用された例がある。 飼育 [ ] この節には 複数の問題があります。 やでの議論にご協力ください。 がまったく示されていないか不十分です。 内容に関するが必要です。 ( 2016年7月)• されています。 ( 2016年7月) 現在ジャイアントパンダはワシントン条約で国際取引が禁止されているので、日本国内で飼育されているものはすべて「日中飼育繁殖研究」という名目で中華人民共和国から借り入れている。 パンダは「お見合い」によるペアリングが極めて難しく、ジャイアントパンダが大量に飼育されている中国の施設でオスとメスの相性を見てカップルを作る形でないと繁殖は難しいため(日本で2匹の雌との間に18年間で15頭の子供を、しかも全て自然交配で設けたアドベンチャーワールドの永明は例外的な絶倫ビッグダディとされる )、日本国内で誕生したジャイアントパンダについては、おおむねに達する2歳ぐらいになったら繁殖の為に中国に帰国することになる。 日本 [ ]• : 1頭(旦旦[タンタン]:メス)• : 6頭(永明:オス、良浜:メス、:メス、:メス、:メス、彩浜:メス)• オーストラリア [ ] のアデレード動物園は南半球で唯一ジャイアントパンダ(ワンワンとフニの2頭)を保育している。 パンダ外交 [ ] 記録上初めてパンダが外国へ贈られたのは唐時代の685年(垂拱元年)、武則天が日本の天武天皇へ贈った2頭の「白熊」だと言われている。 1900年代 中華人民共和国の中国共産党は各国との関係発展のために相手国にパンダを贈呈する、いわゆる ()を展開してきた。 これが転じて、などではが「パンダ・ハガー(panda hugger、パンダを抱く人)」と呼ばれることがある。 中華人民共和国政府から西側諸国にパンダが贈呈されたのは、1972年にアメリカに贈られたが最初で、以降、日本・フランス・イギリスなどに贈呈された。 日本においては 、にジャイアントパンダの大ファンであるが紹介し、その後により上野動物園に中国からの2頭が贈られたため、日本中にパンダ・ブームが起こった。 アニメではやがつくられた。 中国国外に贈与されたジャイアントパンダの数は1957年から83年までで24頭にのぼったが、1984年にジャイアントパンダがワシントン条約の附属書IIIから附属書Iに移行され、商業目的の取引が禁止され、パンダの贈与は出来なくなった。 しかしその後1980年代から1990年代初期にかけて、ジャイアントパンダが中国国外の動物園に高額でレンタルされる例が続出したため、パンダに商業的な価値が生まれることで野生のパンダの捕獲が誘発されることへの懸念から、1997年のワシントン条約締約国会議で「野生で捕獲された個体の輸出は、特定の場合を除いて認可されるべきではない」ことと、「パンダの貸し出しで得た収益は野生のパンダ保護のために再投資されるべき」との勧告がなされた。 このような経緯から、野生の個体を捕獲するのではなく中国の動物園や保護センターで生まれた個体のみが中国国外にレンタルされるようになり、中国がパンダのレンタルで得た高額なレンタル料も「保護活動費」として野生のパンダ保護のために使われるようになった。 保護活動費の使い道はWWFによって監視されている。 2000年代 に、中華人民共和国と「中国の代表権」をめぐって対立を続けている中華民国()の比較的親中的な野党であるおよび代表団が中華人民共和国を訪問した際に、中国共産党側から中華民国にジャイアントパンダを贈る約束を取りつけた。 これに対しての政権は、ワシントン条約に基づき、中華人民共和国政府が輸出許可書を発行することを求めた。 これは「パンダ外交」による国民の反中心情の緩和を警戒したものである。 しかし、中華人民共和国政府は「国内移動」として、これを拒否した。 そのため、中華民国政府はパンダの輸入を許可していない。 しかし2008年の国民党の政権の対中緩和政策でジャイアントパンダを受け入れた。 ワシントン条約によりレンタル扱い 現在ではワシントン条約とその加盟国が独自に条約運用のために定めた法の影響で以外での取引は難しいため 、外交として中国国外にジャイアントパンダを贈与することはできず、中国の動物園か保護センターで生まれた個体を「繁殖研究」などの名目で中国国外の動物園にレンタルする形となっており、レンタルされる個体はすべて「中国籍」である。 過去に贈られたジャイアントパンダはその当事国の国籍を持っているが、その数は少ないため「非中国籍」同士での繁殖は難しく、また片方の親が中国籍であれば生まれた子供はすべて「中国籍」となる。 そのレンタル料も高額であり、つがい一組で年間1億円程度、自然死であると証明できない死亡における賠償額は5千万円程度で契約されている。 レンタル料は「保護活動費」との名目で、借り受けた動物園を介して「中国野生生物保護協会」に送られ、本種の研究費や生息地保護資金に充てられている。 「パンダは新鮮な笹しか食べないので食費がかさむ」などの事情に加え(笹が自生しない国では中国から毎日空輸することになる)、高額なレンタル料も一因となり、アトランタの動物園では2006年に資金難から本種を返還した。 本種はもはや「レンタル外交」というビジネスであるとも言われている。 客寄せパンダ [ ] 日本ではジャイアントパンダの人気は高く、本種のいる日本の動物園ではそれを目当てとした来園客が非常に多い。 そのため、興行などで集客力のある人気者を指す 客寄せパンダという言葉が生まれた。 語源には以下の2種の他にも幾つかある。 この出来事を当時のマスコミが「パンダ来たおかけで博覧会の入場者が増加した」などと報じた事から転じて「客寄せパンダ」の名称が発生し、以後その言葉が汎く定着したという説。 1980年の前 、並びに6月の東京都議選応援演説におけるの「人寄せパンダ」 発言の「人寄せ」部分が変化した という説。 「白黒のもの」を意味する表現 [ ]• Nairobi, Kenya. 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パンダ 写真

しかし、ジャイアントパンダの未来は必ずしも明るくありません。 現在のジャイアントパンダの個体数はおよそ1,800頭あまり。 その1,800頭がすむ中国南西部の山林も、切り拓かれるにつれて小さく分断されています。 中国政府は、これまでに30カ所以上のジャイアントパンダ保護区を設立しました。 しかし、パンダの多くは保護区外にすんでいるため問題の解決にはならず、生息地破壊も続いています。 このことは、中国の急速な経済発展とも決して無関係ではありません。 WWFは、1981年にアメリカの自然科学者ジョージ・B・シャラー氏らと共に実施したフィールド調査をきっかけに、ジャイアントパンダの保護の活動を開始しました。 現在、1万6000平方キロものジャイアントパンダ生息地を保護区に指定するという大きな成果をあげています。 とはいえ、まだまだ課題は山積みです。 保護区の維持や、人材の育成に必要な資金は、決して十分ではなく、長年の調査で蓄積された膨大なデータを活かすためのデータベースも、早急に整備する必要があります。 何より、ばらばらに切り離されたパンダの生息地を回復させて自然の回廊(コリドー)でつなぎ、将来にわたって保護してゆくためには、広く地域の人々の理解を得なくてはなりません。 ジャイアントパンダやその生息地を守りながら、地域の人々の生活を豊かにしてゆく、そんな理想的な保護のありかたを実現するために、WWFは現在、さまざまな活動に取り組んでいます。 Giant Pandas in the Wild" (表紙:/本文:) 中国での調査にあたって ジョージ・B・シャラー博士 木の生い茂る山道で我々の行く手は阻まれ、ベイツガ、マツ、そしてカバの樹冠の下にある竹が我々の周りで密生している。 時々、薄紫の花房の蘭が木陰で輝く。 ここ標高2,500メートルの四川省の臥竜保護区では、春寒の中で大気は涼しい。 遠くでヒマラヤカッコウが鳴く。 突然ナチュラリストの胡錦矗が、二つの新しいパンダの糞を指し示した。 パンダは近くにいるのか? 我々は、この神秘的な生き物の姿や気配を感知し、その物音を聞こうと感覚を研ぎ澄ます。 5センチ)。 我々のグループの21人の中国人は忍耐強く見守りながら、むしろパンダが通り過ぎたことを示すこれらの落とし物に対する我々の喜びように困惑している。 しかし1980年5月15日のこの瞬間は、パンダにとって歴史的な意味があった。 すなわち、WWFと中国の合同チームが初めて野生のパンダの存在を確認したことで、この稀少で貴重な生きものが将来、野生で確実に生存するための、長期にわたる共同作業が始まったのである。 ジャイアントパンダの歴史 パンダは、中国では古くから知られてきた。 秦王朝の爾雅辞書は、「貘(mo)」として知られたパンダについて、紀元前220年頃に記述している。 また西漢王朝(紀元前206年-西暦24年)には、西安の皇帝の庭に1頭のパンダが飼われていたとされている。 最初の唐王朝(西暦618-907年)の皇帝であった唐の太宗の孫は、友好のしるしとして2頭の生きたパンダを日本に送ったとされているが、以後1950年代まで日本にパンダが来ることはなかった。 このように古代から知られ、また人目を引く姿をしていたにもかかわらず、パンダは実在の動物というよりも、幻の動物に近い存在であった。 中国の巻物にはトラ、ツル、カメなど象徴性を持つ生き物が数多く登場するが、パンダはその中に入っていない。 また、20世紀半ばまで、美術品に登場することもほとんどなかった。 おそらく、その霧に閉ざされた山地林は余りにも山深く、パンダの習性はとらえどころが無かったのであろう。 1869年3月11日、猟師がパンダの毛皮をフランス人のイエズス会宣教師アルマン・ダビッド神父に持参、彼は「有名な白と黒の熊」が西洋科学の世界で知られていないことに気づいた。 この発見は、パンダが「クマ」か、「アライグマ」の仲間かという論争に火をつけた。 この問題は100年以上も後になって、DNA分析の結果、パンダはクマの仲間から早期分化した種であると判明するまで続いた。 しかしながら、パンダそのものは謎のヴェールに包まれたままだった。 1929年4月13日、セオドア・ルーズベルトとカーミットの兄弟は、パンダを撃った最初の外国人となった。 以後数年間、アメリカの博物館がパンダのトロフィーを獲得しようと何頭かを狩った。 パンダがWWFと自然保護運動のシンボルとして不動のものとなり、パンダの危機的状況に対する万人の同情を呼び起こしたのは、1936年のルース・ハークネスがパンダの幼獣を捕獲した事件であった。 彼女が、スーリンと名付けられたそのパンダを米国に連れて行くと、国中がスーリンに夢中になり、一種の"パンダ教"を生みだした。 それは現在も続いている。 さらにまた、各国の動物園が無節操に競ってパンダを見せ物にするようになった。 1936年から46年までの間に、合計14頭のパンダが、政治的混乱期の中国から外国人によって国外に持ち出された。 その後中国はそのような収奪を禁止したが、10年も経たないうちに中国はパンダを親善大使に使うようになり、ロシア、米国、メキシコ、ベルリンなどにつがいで贈り、その合計は1957年から83年までで24頭にのぼった。 一方、野生のパンダについてはほとんど分かっていなかった。 1970年代半ば、竹の一斉開花・枯死がパンダの生息地北部一帯で発生し、多くのパンダが餓死した。 この現象は何年かに一度起こるもので、竹は実生からの発芽のみとなる。 当時の生息数(個体数)調査によると、生息数は約1000頭と明らかに少なく、中国政府にパンダの危機的状況を警告した。 国の宝と考えられる種の生存を懸念し、そしてその将来に責任を持つ立場にある中国は、1978年にパンダの研究を開始した。 フィールドキャンプが、臥竜保護区の険しい山地林の斜面に造られた。 プロジェクトの変遷 我々のグループが最初に五一棚のフィールドキャンプを訪れたのは1980年5月のことだった。 キャンプはボード板、タール紙、そしていくつかのテントからなる掘っ建て小屋。 そこから、以後数年間にわたり、パンダの謎を解き明かそうという我々の使命を果たすための協力が始まった。 WWF、胡錦矗、藩文石、私ジョージ・シャラーそして我々の仲間たちによる協力である。 自然史は、野生生物と生態系の知識の基礎である。 それは、現実的かつ革新的で、長期的な保護計画のよりどころとなる情報を提供してくれる。 我々は、ジャイアントパンダの出生と死亡率、移動パターン、そして社会生活について知る必要があった。 パンダは矛盾した動物で、遺伝的には肉食獣でありながら、一日およそ12kgの竹を食べることに生涯を費やす。 なぜこのような菜食主義のライフスタイルに適合したのであろうか? こうした質問の答えは、パンダとその生息地の管理計画を作るための重要な第一ステップとなる。 問題を明らかにし、解決策を提案することが必要である。 パンダの生活よりも、パンダの稀少性と美しさに惹かれて、我々はまたパンダの知られざる独特の世界に自然と興味をそそられた。 プロジェクトは、使命の大きさをものともせず、向こう見ずな情熱と共に始まった。 どんなプロジェクトも一部に科学的であり、経済学的であり、そして政治学的側面を持つ。 予想もしない問題が常に持ち上がった。 臥竜保護区のある 山地の一部で竹が枯死した結果を受けて、政府はパンダの食べ物が豊富にある地域においてすらも、大がかりなパンダ救助作戦を組織した。 1983年から1987年までの間、多くのパンダが必要もなく捕獲され、飼育下におかれた。 愛すべきパンダが雪に覆われた山地で飢えている映像は、世界中の同情を集め、多額の寄付が寄せられた。 100頭以上ものパンダが、現在動物園や繁殖センターで生気なく暮らすことを余儀なくされたが、これらの飼育下のパンダの繁殖率や生存率は決して高くない。 私が中国で活動している間、少なくとも2頭のジャイアントパンダが、五一棚周辺で罠にかかって死んだ。 1974年から1986年までの間で、臥竜のパンダは半分に減少。 密猟者と仲介業者には重い罰則が課せられるにもかかわらず、過去4半世紀の間に、間違いなく数百頭が生息域の各地で殺され、その毛皮は高価なハンティング・トロフィー(狩猟戦利品)として、台湾やその他の地域に売却された。 1984年、中国政府はジャイアントパンダが富をもたらす商品であることに気づき、動物園や、短期的にはスポーツ・イベントなど対して、年間100万ドルに上る料金で貸与を始めた。 そのようなレンタルを行う理由を正当化するのなら、野生パンダの保護に向けての資金調達のためであるべきだと、私は思う。 気の滅入るさまざまな諸問題にもかかわらず、WWFは、ほぼ20年間にわたり、中国政府と忍耐強く、多大な責務を負ってパンダの保護活動を続けた。 私は1985年にプロジェクトを離れたが、プログラムがその当初のビジョンをはるかに越えて発展するのを感心して見守った。 パンダの管理計画は1989年に作成された。 それと共に、プログラムの第二段階がスタートした。 また新しい生態調査が進行中である。 森林伐採を禁止することで、生息地の破壊のスピードが遅くなるだろうと期待している。 地域の人々のための環境教育プログラムと、キノコなどの非木材林産品から経済的な収益を得られるよう、地方自治体を支援する取り組みがある。 保護区のスタッフは、現在パトロールするだけでなく、野生動物を観察するよう訓練されている。 エコツーリズムの推進も行われている。 それは、自然保護の結果生じた利益を、野生動物と森林だけでなく、地域の人々にも分配しようという、広範で統合されたプログラムである。 この作業の大部分は、中国の森林省のスタッフと大学の生物学者によって実行され、パンダにとって重要な展開となった。 藩文石は、私と同じ時に臥竜プロジェクトを離れ、次いで陝西省の秦嶺山地でパンダ研究を開始した。 10年間以上をそこで過ごし、彼と彼が籍をおく北京大学の学生は、パンダの社会生活と集団の個体数動態に関して入手できる最高の情報を収集した。 学生の一人・呂植は、WWFのパンダ保護プログラムを実施しただけでなく、現在では、学生に助言をする立場となっている。 1980年のあの日の精神は、世代を経て拡大し続けており、WWFが残した大きな遺産となっている。 もちろん、パンダのおかれている現状は安全ではない。 将来もそうであり続けるだろう。 人々から災難と関心を同時に呼びよせ、常に何かに脅かされるだろう。 我々は、パンダが何を必要としているか知っている。 それは竹林であり、幼獣のためのすみかと迫害からの解放である。 楽観かもしれないが、ジャイアントパンダは、環境と、進化の驚異のシンボルとして生き続けてゆくことになるだろう。 そして、この地球上の命のかけらを守ることは、我々が10年単位ではなく世紀単位に及ぶ責務をもって、その運命を用心、同情、英知、そして誠意を持って監視することを意味しているのである。 種の学名であるAiluropoda melanoleucaも、その黒と白の色彩に由来したものです。 パンダの分類については、100年以上にもわたり議論されてきました。 科学者たちは、それがクマの一種なのか、アライグマに似たレッサーパンダの仲間に近いのか、あるいは独自の種に属するのか疑問を持ったのです。 最近のDNAの研究は、ジャイアントパンダはクマの仲間で、早期に分化した種であることを明らかにしました。 【分類】 食肉目 クマ科 【学名】 Ailuropoda melanoleuca 【サイズ】 身長:120~190cm /体重:85~120kg 【食物】 主食はタケの幹、葉、タケノコ。 稀に昆虫やネズミなども捕食 【レッドリスト】 VU=危急種(2016年にEN(絶滅危惧種)から引き下げられた) 特別な身体的特徴としては、すりつぶしに適した幅広く平らな臼歯、そして親指のように他の指と向き合った手首の骨です。 これらは竹を食べるための適応と考えられています。 また世界に分布するヒグマやツキノワグマなどと異なり、ジャイアントパンダとマレーグマは冬眠しません。 飼育下のパンダは最長30年以上生きることが分かっていますが、野生での寿命は通常20歳以下と見られています。 また、秦嶺山脈では、白と黒のパンダの中に、稀に茶と白の個体が確認されています。 希に肉を食べることもありますが、それは主に動物の死骸です。 このユニークな食習慣のために、地域の人々から「バンブーベア」というあだ名をつけられました。 竹は栄養価が低く、生存には事足りるものの、ほとんど余分な栄養を取ることが出来ません。 しかし、ジャイアントパンダはこの食性に適応しました。 野生では、彼らは眠るか短距離を移動する以外は、最長で一日14時間も食べ続けます。 通常、ジャイアントパンダの生息地には2種またはそれ以上の種類の竹が生えており、竹が30~120年に一度、開花して枯死する時には、ジャイアントパンダは枯れずに残っている別の種類の竹を選んで食べると考えられています。 しかしながら、生息地の分断が続くことで、生息地の区域に一種類しか竹が残らないというおそれが、近年増加しています。 竹が枯れると、生息域内のジャイアントパンダは餓死に直面することになるのです。 自然の状態では、メスは何頭かのオスと交尾でき、オスはメスをめぐって競争し、更に発情している別のメスを探します。 交尾時期は、通常2~4日間、オスとメスがつがいになる3月から5月の春の間です。 妊娠期間は約5カ月間。 時おり野生での双子の出産報告がありますが、メスは通常は一度に一頭を出産します。 飼育下では、特に人工授精が用いられると、双子が産まれやすいようです。 出産の直前、メスは出産場として樹の根元のうろや洞窟を選びます。 メスはこの隠れ場所の中や付近に3カ月以上留まり、幼獣を注意深くそのがっしりした手のひらで保護するように抱いて育てます。 数日から1カ月経つと、母親は自分の食べ物を探すため、幼獣をねぐらや樹のうろに1頭だけで残して離れるようになります。 母親は2日以上も戻らないことがあります。 これは幼獣を放棄しているのではなく、幼獣を育てるサイクルの自然な一部なのです。 幼獣は生まれてから1年経つと竹を食べ始めますが、その時までは完全に母親に頼って生きています。 社会行動 ジャイアントパンダは、単独行動を好む動物です。 成熟したそれぞれの個体は明確な縄張りを持っています。 通常はオスの縄張りの方が大きく、30平方キロに達し、時として数頭のメスの縄張りをその中に含みます。 縄張りを持つオス同士が出会う時、特に発情期のメスの周りに集まるときは、オス同士の間には明確な順位付けが見られ、順位をめぐって時々争いにも発展します。 上位のオスはしばしばメスとの交尾の優先権を得ますが、下位のオスもまた、後で交尾するチャンスを獲得します。 メスは成熟に3~4年、オスは約5年を要します。 若いオスは、通常順位が低く、交尾の機会は7~8歳になるまで得られません。 一方、メスは4~20歳の間に、2~3年に一度出産します。 ジャイアントパンダにとっての唯一の「家族単位」とは、母親と1歳半以下の幼獣の組み合わせだけです。 しかし、ジャイアントパンダはしばしば、声と匂い付けによって頻繁にコミュニケーションをとり、お互いに交流します。 この交流は発情期以外でも行われています。 パンダの幼獣は約1年で離乳しますが、母親が再び妊娠するまで通常1年半、一緒に過ごします。 また母親がその間に妊娠しなかった場合、幼獣は2歳半になるまで母親のもとに留まります。 ほぼその年齢となると、母親は仔を寄せ付けないよう追い払いますが、独立した後も、多くの幼獣は母パンダの近くで暮らすようになると考えられています。 しかしながら、若干のジャイアントパンダ、特にメスは、生まれた場所から遠く離れて定着するようです。 いずれにせよ、ジャイアントパンダの生態と行動には、まだ謎が多く、一層の研究が必要とされています。 その中でも、野生のジャイアントパンダが数多く生息している秦嶺山脈は、陝西省の古都西安の近くにあり、中国北部と南部の気候を併せ持っています。 3000m級の山々がそびえ、北方からの乾いた寒風を遮る役割を果たす一方、緩やかな丘の広がる南部は温暖多雨で、変化に富む気候の恩恵を受け、貴重な動植物が数多く分布しています。 また、四川省から雲南省にかけて広がる山岳林も、ジャイアントパンダの重要な生息地です。 ここには、臥龍自然保護区や王朗自然保護区を始め、ジャイアントパンダの生息と保護に重要な役割を果たしている、大規模な保護区が設立されており、保護活動の中心地域となっています。 これらの、温帯と亜熱帯の気候をもつ中国の山林には、ニレや、クルミ、カエデ、トネリコなどが茂り、標高が高くなるにつれて、植生が常緑広葉樹や針葉樹へと変化します。 カラマツやカバノキの林の下には、笹やシャクナゲといった低木が生い茂り、様々な種類のタケも群生しています。 ジャイアントパンダは、このような多様な植生の中で生育するタケを食べて暮らしているのです。 ジャイアントパンダ以外の動物では、シジュウカラ、キバシリ、キジ、チメドリなどの鳥類や、オオサンショウウオ、中国が手厚く保護しているターキン、キンシコウなど、いずれも絶滅のおそれが指摘されている野生動物が、数多く生息しています。 ターキンは、金色の毛皮をまとった、ジャコウウシ属の大型草食獣です。 通常群れで生活し、竹などを食料にしています。 また、 キンシコウは美しい金色の毛皮が珍重されている体長60~70cmの小型のサルで、大きな群れを作って生活しており、その数は多いときで600匹にものぼります。 生息環境の危機 秦嶺山脈は、動植物だけでなく、金やニッケルといった鉱物資源も豊富な地域で、資源を求める人々の手によって開発が進められてきました。 整備された道路はジャイアントパンダなどの野生動物の生息域を小さく分断し、動物たちは他の地域へ移動できなくなってしまいました。 実際、森林伐採や狩猟などによって、ジャイアントパンダをはじめとする、貴重な野生生物は、減少が心配されています。 もう一つの、秦嶺山脈の自然を脅かす大きな脅威は、自然保護区以外の地域における商用木材の伐採や野生動物の密猟です。 1988年に中国政府は、黄河の北部および長江南部の上流域にあたる秦嶺山脈での森林伐採を禁止しました。 これによって、これまで木材の伐採によって生計を立ててきた人々は他の仕事を見つけなくてはならなくなりました。 狩猟についても同じで、食料にしたり毛皮を売ったりするための密猟は跡を断ちません。 もし、職を失った人々に新しい職が見つからなければ、人々は合法・違法に関わらず、生活の糧のために森の資源を採取するでしょう。 昔から秦嶺山脈で暮らしてきた人々が今後どう生計を立ててゆくかが、今後の大きな課題の一つとなっています。 WWFは現在、秦嶺山脈で、孤立した生息域をつなぐための「緑の回廊(コリドー)」作りに取り組んでいるほか、ジャイアントパンダの生息地を取り巻く地域で、エコツーリズムを推進するなど、雇用の創出を図る取り組みも進めています。 ジャイアントパンダを保護することは、今もかろうじて残されている、世界的に貴重な中国の森を保全することに他ならないのです。 また、パンダの化石はミャンマーとベトナムの北部でも発見されています。 化石は、しばしば標高500~700mの温帯林と亜熱帯林で発見されており、ジャイアントパンダの分布域が大きく変化したのは、むしろ最近のことであると見られています。 生息地が広く失われた原因のひとつは、過去数百年で中国の人口が爆発的に増加し、もともとジャイアントパンダの生息地であった場所に、人間がやってきたためです。 かつて、ジャイアントパンダは今よりも標高の低い山に生息していましたが、今ではその大部分は開発されてしまいました。 現在、ジャイアントパンダの生息地は、竹が育つ標高1,200~3,400mの高地に限られています。 その生息環境は、竹が森の低層を形成しているチベット高原の東端、中国西部の温帯山地林です。 しかし現在、その生息域は、大きく6ヵ所ほどの分断された山岳域に限定されています。 今後さらに、分断されたそれぞれの個体群が、相互に交流出来るように「緑の回廊(コリドー)」を造る計画を進めています。 個体数 ジャイアントパンダはクマの仲間では最も稀少であり、世界で最も絶滅のおそれが高い哺乳類の一種です。 しかし現在、野生のジャイアントパンダが何頭いるのかは、正確には分かっていません。 ジャイアントパンダは高山の急斜面の竹やぶに生息しているため、個体数を数えるのが困難なのです。 1970年代から1980年代に行われたジャイアントパンダ調査では、野生の個体が約1,000頭生存していると推定されました。 現在の推定では、約1,800頭と考えられています。 ジャイアントパンダの個体数調査は、WWFにとっても最優先事項であり、中国の国家森林局(SFA)と共同で実施されています。 現在わかっているジャイアントパンダの最も大きな個体群(約600頭)は、四川省の岷山山地に生息しています。 岷山と秦嶺山地は、最も個体数の密度が高い地域と見られています。 しかし、全体的には調査データがまだ不十分なため、ジャイアントパンダの個体数と分布については、不明な点が多く残されています。 しかし、1974-75年および1985-88年にかけて行われた地理情報システム(GIS)による長期の調査の結果、パンダの生息域が29,500平方キロから13,000平方キロまで減少してしまったことが判明しました。 そこで1988年、中国政府は中国南西部での自然林の伐採を禁止しました。 また同年、WWFと四川省森林局が共同で、ジャイアントパンダの最大数が生息する平武県でのパイロット調査を支援しました。 その調査の結果、商業伐採で劣化した生息地では、パンダの個体数密度が著しく低下していることが判明しました。 パンダは定期的な竹の開花サイクルに適応して生きているため、開発により生息地が分断化され、竹の種類が単一になることは死活問題です。 さらに、近親交配がおこりやすくなることにより、病気への抵抗力、環境への適応能力、繁殖率の低下などが危惧されます。 ジャイアントパンダは繁殖率が低いため、一度個体数が減ると回復には長い期間が必要です。 できるだけ早急に、生息地の状態の徹底的な調査を行うとともに、新しい行動計画を策定しなくてはなりません。 また、各々のパンダの個体群と生息地に関する情報が、今のところほとんど得られていません。 異なる機関の間の情報交換がうまくいっていないことが原因のひとつにあげられます。 調査のしくみを改善して、利用しやすいデータベースの作成が必要とされています。 法による保護 1984年、ジャイアントパンダは、絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約(CITES=ワシントン条約)の附属書IIIから附属書Iに移行され、基本的に商業目的の取引は禁止されました。 パンダ及びその製品の取引は、ワシントン条約締約国による厳密な規制の下におかれています。 ジャイアントパンダは、中国重点保護野生動物名禄のI類に指定され、国、省、そして地方レベルで保護されている動物です。 この法律の下では、ジャイアントパンダの密猟や毛皮の密輸で有罪を宣告された者は、死刑もしくは終身刑に処せられることになっています。 しかし、密猟は跡を断ちません。 毛皮には高価な値がつくとされていますが、最終的な流通経路は不明です。 1988年に自然林での木材伐採が禁止されて以降、摘発される狩猟件数が大幅に増えています。 1992年、臥竜自然保護区では、たった一度のパトロールで70以上もの罠が回収されました。 1995年のはじめ、パンダを撃った農夫は終身刑に、また3人の共犯者は投獄されました。 同じ年、パンダとキンシコウの毛皮を所持していた二人の男が中国で国境警備隊に逮捕され、死刑の判決が言い渡されました。 1997年以降、法律は改正され、密猟者は死刑ではなく20年の懲役刑を科せられることとなりました。 現在、30ヶ所以上のパンダ保護区が設立されていますが、生息地の破壊と密猟は今も続いています。 その主な原因としては、中国における自然保護の管理システムの問題と、パンダの生息地における住民の経済的基盤の問題があげられます。 環境保全と経済発展 自然保護区に指定された場所では、放牧地の造成や野生動植物の採取といった経済活動は制限されます。 しかし、保護区外の生息地では、パンダを含む野生動物への配慮がないままに開発計画が進むことが多々あります。 中国にとって、持続可能な開発と環境保護は国家政策の重要なカギで、この10年ほどの間でかなりの進歩を見せました。 とはいえ、自然保護の仕事に対する国の優先順位や一般の認知度はまだ低く、インフラも整っていません。 また、賃金が安いためスタッフの能力やモラルも向上せず、財源確保のために天然資源の不正採取などが行われることもあります。 これらの問題を解決するためには、保護区が環境に負荷を与えない方法で運用資金を確保する道を見出す必要があります。 そして政府も保護区への予算を増加し、インフラを整備してゆかなくてはなりません。 母パンダは、時折子どもを置き去りにして食物を探しに出かけ、だいぶたってから戻ってくる習性があります。 この習性が知られていなかったために、単独で発見された子パンダを保護してしまった例がたくさんありました。 また、パンダの主食である竹は、30年から120年に一度、開花して枯死する性質があります。 このため、竹の開花・枯死した時期に、飢餓を懸念して多くのパンダが捕獲されました。 しかし、生息地が十分に広く、複数の種類の竹が生えている場合は、飢えの心配はありません。 これらの知識不足に起因する間違った保護のあり方を見直し、パンダが野生で生き残れるよう、政府指針が発表され、救済を制限するガイドラインが提示されました。 WWFの取り組み パンダの危機的な状況を改善するために、WWFは過去20年以上にわたり様々な活動に取り組んできました。 1996年、WWFは中国森林省より平武県内の王朗保護区の支援を依頼されました。 平武県は、四川省・岷山のパンダ個体群の中心に位置します。 ここには中国で最も多くパンダが生息している地域と言われれていますが、残念なことに、その大半が3つある自然保護区の外になっています。 当時、平武県の収入は60%以上が木材伐採に依存しており、パンダの生息域を破壊する原因になっていました。 野生動物の保全と経済活動の維持を両立させるべく、WWF は97年に「総合的な自然保護と開発のパイロットプロジェクト」 ICDP に着手しました。 18万人以上の人が住む平武県にはすでに780平方キロもの保護区域がありますが、その設立当時、牧場や森林からの資源が得られなくなったことを知った地域住民から強い反発が起こりました。 そこでICDPを開始する際には、地域と協力してゆくことを重視しました。 管理計画を作る際には地元の自治体側から共同管理ゾーンが提案・合意されたほか、保護区スタッフと地方自治体による共同調査も実施されました。 その結果、どこでパンダが見られるかが文書にまとめられました。 また、パトロールによる密猟の防止も実施されています。 これらの情報はGISデータベースにまとめられ、日常の保護管理業務に役立てられています。 地域の人々の自然保護への自覚を高めるために、WWFは300名を超える保護区や関係する行政機関のスタッフなどに対してトレーニングを行いました。 現在、平武のスタッフの能力とモチベーションはめざましく向上しています。 また、WWFは、四川省自然資源保全管理訓練センター STCC の設立を支援するなど、現在中国政府が行っている数多くのプロジェクト支援をしています。 この支援を通して、中国の自然保護活動家・研究者・行政官・保護区スタッフに、自然保護活動の経験を積む機会を提供しているのです。 研修は、異なる立場の間に共通理解を確立し、自然保護活動の全体的な認知度をあげることに役立っています。 情報の活用 深い竹の茂みと高低のある地形は、パンダの個体数調査を難しいものにしています。 ジャイアントパンダは、果たして増えているのか、減っているのか。 主な生息地はどこに点在しているのか、回廊で結ぶことができるのか。 残念なことにこれらの重要な情報は、不完全で古いものばかりなのが現状です。 現在WWFは、パンダ保護のためのデータベース開発の支援をしています。 データベースには、全国調査からの基本情報と生息地のモニタリング、パトロール、衛星画像から得られる最新のデータを統合するように設計されています。 これを定期的に更新してゆくことで個体数変動と生息地の状態をモニターして管理することをめざしています。 WWFのパンダ保護プログラムは、自然保護と経済発展の双方をバランスよく続けていくことを目標としています。 中国は、現在めざましく経済発展を続けています。 自然保護に対する認識は高まってきているものの、まだまだ克服するべき課題は尽きません。 中国政府の前向きな姿勢、安定した資金、そして自然保護と人間のニーズを共に満たしたプログラムが必要です。 1998年に開始された「傾斜地における農地再生」プロジェクトでは、パンダ生息地内とその周辺での土地利用パターンを調整するという重要な計画が進んでいます。 今後このような土地利用計画に、生息地の回復プランが盛り込まれてゆくことが理想です。 パンダの個体群が行き来できる回廊を見きわめて、その周辺の環境を回復させることができれば、生息地が拡張されてパンダの個体群が大きくなるばかりか、個体群の間で遺伝子の交換も行われるようになるのです。 これまでの経験とデータを基に、ジャイアントパンダとその生息地のための保全プログラムは今後も継続してゆきます。 パンダが存在するために何かが失われるのではなく、地域の人々がそこから利益を得ることが大切です。 パンダ保護区が拡充されれば、そこで働くスタッフの雇用を生み出しますし、多くの利害関係者が保護プロジェクトに関われば、地域の暮らしが向上し、最終的には地域・そして国レベルでの政策変化をもたらすことでしょう。 ジャイアントパンダとその生息環境を保全するため、中国政府や地域の人々と協力しながら、今後もWWFは活動を続けてゆきます。 関連情報:ジャイアントパンダの海外への貸し出し 1980年代から1990年代初期にかけて、海外の動物園にパンダのつがいを多額の料金で貸し出すケースが続出しました。 国際的な自然保護団体は、商業的な価値が生まれることで、野生のパンダの捕獲を誘発する事態になりかねないとしてこれを批判しました。 1997年のワシントン条約締約国会議では「野生で捕獲された個体の輸出は、特定の場合を除いて認可されるべきではない」とされ、パンダの貸し出しで得た収益は野生のパンダ保護のために再投資されるべきという通達が発表されました。 現在、パンダを借りているいくつかの国々は、展示から得た収益を中国での保護活動にあてると確約しています。 例えば米国魚類野生生物局 FWS は、1998年にパンダのレンタルに関する覚書きを作成し、レンタルによって得た基金の半分以上を野生のパンダおよび生息地保護のために使うことを規定しました。 今後は、信頼できる保全プログラムに利益が確実に投資されているかどうかを調べ、評価する制度を作ることが必要になっています。 Giant Pandas in the Wild "• Anon. 1994. China: Biodiversity Conservation Action Plan. National Environmental Protection Agency,Beijing, China. Anon. 1995. Panda poacher in jail. Oryx 29 4 :234. Anon. 1996. WWF Action Plan for the Conservation of the Giant Panda and its Habitat. Unpublished. Anon. 1998. Panda thug pays price, The Express,London, U. , November 26, 1998. Aune, K E, Mace, R D and Carney, D W. 1994. The reproductive biology of female grizzly bears in the northern continental divide ecosystem with supplemental data from the Yellowstone ecosystem. International Conference Bear Res. and Management, 8: 451-458. Chapman, S. 1992. WWF internal report, Godalming, U. Lu Zhi, Johnson W, O'Brien, S, et al. In press, Patterns of Genetic Diversity in Giant Panda Populations. Implication for natural history and conservation strategy,Conservation Biology. Lu Zhi. 1998. Pers. comm. Mainka, S and Lu Zhi. 1997. Proceedings of the Feasility Workshop on the Giant Panda Reintroduction. 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日本にいるパンダ全10頭を全網羅! 写真&性格&動物園も紹介

パンダ 写真

写真 他のパンダに比べて小柄で、手足が短いのも、タンタンのチャーミングポイント(提供) 中国に返還されることが明らかになった神戸市立王子動物園のジャイアントパンダ、タンタン(旦旦、メス24歳)。 市民やファンらの間に悲しみの声が広がる中、同園とフェリシモ(神戸市)が、来園20年を記念した初の公式写真集の編集作業を急ピッチで進めている。 コロナの影響で当初予定していた7月発刊は遅れる見込みだが、ファンが撮りためた写真と同園の秘蔵写真で作られ、「タンタンへの20年間の愛がこもった、特別な写真集」と同社。 写真の一部はインスタグラムでも公開中だ。 タンタンは1995年の阪神・淡路大震災の後、神戸の人を勇気づけるために来神。 写真集の企画は動物園側から「感謝とお祝いの気持ちを込めて、何か話題になることをしたい」と相談があったのがきっかけといい、「パンダ柄のサンシェードを貸し出し、駐車場をパンダだらけにする」「白黒つけるパンダ恋愛おみくじを作る」などの案の中から、「目標を設定することで、たくさんの人とタンタンや王子動物園を盛り上げたい」と「パンダの写真が1000枚集まったら写真集を発売する」に決まったという。 とはいえ、同園いわく、タンタンは「開園時間のうち、1時間ほどしかこっちを見ないぐらいの恥ずかしがり屋」。 写真が本当に集まるか不安もあったが「『恥ずかしがり屋』という性格がとってもチャーミングで、愛おしく思えた」(フェリシモ・関沙綾子さん)といい「そのかわいさが全面に出るように」と応募写真のテーマも「恥ずかしがり屋のタンタン」にしたという。 昨年9月から応募を始めたところ、神戸や近畿圏だけでなく、全国から予想を上回る1万枚以上の応募が。 本当に小さくて、手足が短くて、かわいいんです!!」とメロメロに。 「ゴロゴロ寝ていたり、草むらに隠れていたり、短い手でたけのこをもっていたり、おしりに葉っぱがついていたり、どうしてそうなっちゃったの?と思うシーンも沢山。 タンタンにとっては普通に過ごしている日々が、なんだかとても愛おしく感じました」とも。 集まった写真は公式インスタグラムで公開しているが、返還が発表された19日以降は「ずっと神戸にいて欲しい」という悲しみの声のほか、タンタンの幸せを願うコメントも寄せられているという。 「こんな形で注目を集めるのは複雑な気持ちですが、タンタンを愛するみなさんと一緒に、多くの方々の心に残る1冊を作りたい」と関さん。 「普通の写真集とは全く違います。 1枚1枚、じっくり見ていただきたいです。 タンタンへの愛情を感じられる1冊です。 動物園の秘蔵写真もあるので、タンタンのまだ知られていない秘密なども知ることができるかもしれませんよ」 (まいどなニュース・広畑 千春).

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