いちげん さん。 Josip Lazić

いちげんさん : 作品情報

いちげん さん

解説 京都の四季のうつろいの中に、外国人留学生と盲目の日本人女性の愛と別れを描出するラヴ・ストーリー。 監督は『ONCE in TIME』の森本功。 第20回すばる文学賞を受賞したデビット・ゾペティによる同名小説を、森本監督が脚色。 撮影監督にピーター・ボロッシュがあたっている。 主演は、「仮面の男」のエドワード・アタートンと「Lie lie Lie」の鈴木保奈美。 第1回京都シネメセナ助成作品。 2000年製作/122分/日本 原題:Ichigensan 配給:メディアボックス ストーリー 1989年、古都・京都。 大学で日本文学を学ぶスイス出身の留学生「僕」は、町でガイジン扱いされることにうんざりしていた。 ある日、彼は盲目の女性・京子に本を読んで聞かせる「対面朗読」なる仕事を引き受ける。 対面朗読は『舞姫』から始まった。 朗読の合間、ふたりは様々な会話を楽しみ、町へ出ていくことも多くなった。 やがて、深く心を通わせるようになったふたりは恋に落ち、結ばれる。 季節は巡り、卒論を仕上げた僕にフランスのテレビ局の通訳の仕事が舞い込んだ。 その仕事の成功により、パリで就職先を紹介して貰った彼は日本を離れることを決める。 一方、独立心の強い京子もまた就職を決めていた。 それぞれの人生の転機を迎えたふたりは、桜の花びらが舞う夜の円山公園で別れた。 白い杖を手にひとりで歩いていく京子の後ろ姿を、僕はいつまでも見送った……。 「デスカムトゥルー」 C IZANAGIGAMES, Inc. All rights reserved. 「ソニック・ザ・ムービー」 C 2020 PARAMOUNT PICTURES AND SEGA OF AMERICA, INC. ALL RIGHTS RESERVED. 「エジソンズ・ゲーム」 C 2018 Lantern Entertainment LLC. All Rights Reserved. 」 C 2019 Sony Pictures Television Inc. and CBS Studios Inc. All Rights Reserved. 「ドクター・ドリトル」 C 2019 Universal Pictures. All Rights Reserved.

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見ること見られること デビット・ゾペティ『いちげんさん』

いちげん さん

古都・京都は新型コロナウイルス感染拡大前、多くの外国人観光客であふれ「外貨」を稼いだ半面、混雑など「観光公害」に悩まされていた。 コロナ感染拡大で祇園などを行き交った訪日客の姿は激減し、19日に都道府県間の移動自粛が解除されても、回復の未来図はまだ描けない。 ポストコロナの観光をどう見据えるのか。 そのヒントは、京都の花街・祇園に息づく「いちげんさんお断り」の哲学にあった-。 (京都新聞社) 大通りから一歩入った細い路地。 宵闇の中を、つなぎ団子模様のちょうちんがぼんやりと光る。 350年の歴史を持つ京都の花街・祇園。 大仰な看板や装飾はなく、古くから続くお茶屋や飲食店が静かに軒を連ねる。 そんな祇園のお茶屋で、営業自粛を強いられていた4月中旬、新たな試みがあった。 祇園甲部のお茶屋「大ヌイ」の若女将・村上斗紫(とし)さん(34)が親交のある人たちの協力を得て、パソコンやスマホのビデオ会議アプリ「Zoom」を使った「Zoomお座敷祇園チャンネル」を試験的に開設。 「オンライン飲み会」とは一線を画し、無償で、参加者は画面越しに舞妓の舞踊や花街文化にまつわる語らいを楽しんだ。 参加者はかねてからの顧客で、村上さんがSNSで友だち認証した人たちだ。 若女将が認めた人だけへの「限定公開」。 京都特有の「いちげんさんお断り」はオンラインでも踏襲した。 「もちろん女将さんたち、芸舞妓さんが培ってきたお座敷が何物にも代えられない、一番大切なもの。 でもコロナで京都に来られない状況が起きてしまった。 これまでのお客さまを大切にしつつ、どう花街の文化をつなげていくのか、ネットとの付き合い方も考えざるを得ないのでは」。 祇園の伝統をポストコロナの状況下でどう守るのか、村上さんは模索している。 「いちげんさんお断り」というと、京都以外の人は京都人の「いけず」なイメージを思い浮かべるかもしれない。 テレビのバラエティー番組のデフォルメされた宣伝効果もあり、京都人にはどこか「排外主義」的な印象がつきまとう。 コロナの感染拡大前、祇園は多くの外国人観光客でにぎわっていた。 インバウンドにより宿泊施設や飲食店などが潤った一方、文化の違いによるマナー違反も発生。 ごみや騒音、芸舞妓の無断撮影などだ。 「道沿いの玉垣に寄りかかる」「軒先などの私有地に入る」「巽橋・新橋の欄干に腰かける」…こんな行為はNG!と、祇園新橋地区の景観づくり協議会はチラシやホームページなどでマナー違反の具体例を挙げて啓発。 外国人観光客に理解を求めてきた。 祇園町南側地区の地元協議会は、英語や中国語に対応できる警備員を配置するなど、観光公害対策に腐心してきた。 昨秋は私道での無許可撮影に「1万円申し受けます」と記した高札を設置した。 一方、こうした取り組みに対し、ネット上では「京都はいちげんさんお断りだから」「観光でもうけているのに、排外主義だ」との批判も散見される。

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いちげんさん (集英社文庫)

いちげん さん

デビット・ゾペティの『いちげんさん』は1996年に発表されたようだから、もう20年も前のことだ。 この小説の存在は知っていた。 だけど、読んでなかった。 京都にあこがれて、ヨーロッパからやって来た外国人留学生が日本人女性と恋に落ちるというあらすじだけ聞いて、スルーした。 今、読み終わって言えることは、ぼくはこの小説を読むのにいちばんふさわしい人間だということだ。 ぼくは京都在住のであり、『いちげんさん』の主人公が文学部でせっせと日本を読んでいた、おそらくその数年後、ぼくもまた「たいした理由もなく」大学で文学を学んでいた。 だから、ぼくにとっての『いちげんさん』は二つの水準がある。 一つは、として読んだ『いちげんさん』。 外国人留学生として来日した主人公の「僕」は、京都に溶け込もうと努力しているにもかかわらず、決して受け入れられることはない。 観光地では「外人、外人、ハロー、ハロー」とくりかえすいなごの群れのような修学旅行生に出くわし、電車の中で日本語の本を読んでいると「オー・ユー・ジャパニーズ・カンジ・オッケー?」とのぞき込まれ、カラオケでを歌っただけで、「日本の心はこれからどこへいくんやろうな」と嫌味を言われるのである。 「どこへも行かへんって、阿保たれ」と「僕」は怒鳴り返すのだが、ほんとにそのとおりだ。 外人が「とんぼ」を歌ったぐらいで「日本の心」はどこにも行きはしない。 ていうか、「日本の心」って? 外国人が日本語を使うことは、特別なことではない。 彼らは外国語として日本語を学んだというに過ぎない。 デビット・ゾペティも、どうして小説を書けるほど日本語がうまくなったのかとか、なぜで書かないのかといった類の質問を受けたようだが、そのような質問は日本語は特別という根拠のない考えの裏返しでしかない。 日本語を話す外国人に出会ったら、下手な英語で返すのではなく、普通の日本語で話してあげてほしい。 それが努力して日本語を身に着けた人への礼儀だと思う。 もう一つの『いちげんさん』について書こう。 もちろん文学作品としての『いちげんさん』のことだ。 「僕」は京都という街の特殊性を次のように説明する。 外見で人を判断するのは、程度の差こそあれ、どこの国にもあることだ。 「しかし、京都の場合、話は微妙に違っていた。 人を見て、その外見から瞬時にして何かを勝手に決めつけて、相手の気持ちを感心してしまうほど無視したラベルを貼りつけるプロセスは、極めて特殊だった」。 巧妙で残酷なメズムが暗黙の了解のもとに機能する京都で、「僕」が盲目の日本人女性、京子とつきあうようになったのは、必然的なことかもしれない。 「僕」は文学作品の朗読のボランティアを通して、京子を知る。 「僕」は京子の家に通い、多くの日本文学を朗読する。 「」から始まって、「不如帰」、「夏の闇」、、などが朗読されるが、「僕」と京子の関係で思い出されるのは、「」である。 『いちげんさん』に「」への言及はない。 しかし、冒頭、古書コレクターである「僕」は谷崎の「鍵」の初版本を読んでいるし、芦屋の記念館を二人で訪れるなど、谷崎は十分意識されている。 二人の関係が急接近したのは、京子が日本の小説しか読まないあなたにと言って、性描写の過激な「ヘンリー&ジューン」を朗読を求めたからだこれし、これは朗読空間のエロス的な意味を象徴していると言っていい(スビーというウサギも「僕」の嗜好をよく表している)。 後半、「僕」はヤクザの取材で来日したフランスのTVクルーに通訳として同行し、ヤクザが「僕」に「外人」ではなく、一人の人間として接することに安堵を覚えるという場面があるが、ここまでくるとちょっと図式的な部分が見え透く感じがする。 もっとも『いちげんさん』がすごいのは、「僕」もまた見る人であることを忘れていないことだ。 京子と「僕」が二人で銭湯に行ったとき、「僕」は男湯と女湯の仕切る壁の上から女湯の京子をのぞこうとする。 見られることに疲れ果てている「僕」は、その一方で見ることには、あまりに無頓着である。 京子だけは「僕」を外見で判断しないというが、京子といるときだけ、「僕」は見る人に戻れたということでもある。 京都という街に受け入れられることのなかった「僕」は、日本文学の朗読というもう一つの回路で日本に、そして京子につながることができたが、やがて「僕」は京都という「死んだ街」から出ていくことになる。 もし「僕」が京都に残っていたら、いずれは「」の佐助のように針で自分の目を突かなければならなかったかもしれない。 hyakkenn09.

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